どうせ死ぬならトロンボーン

どうせいつか死ぬなら(死ぬのだ)、トロンボーンを吹いてみたいな。

あの物理的に不自由そうな楽器。でも深い森から聴こえてくるような豊かな音色。

最近、いつか死ぬなら(死ぬのだ)、生きてるうちにやりたいことやらなきゃもったいないな、とよく思う。

どうせ今から知らない言語を始めてモノになるわけがない(英語もモノになってないのに)、あの難しそうなトロンボーンに手を出して何になるのだ(ピアノもろくに弾けないのに)。

そうやって「モノになる」ことを目的にしていたら子どもの頃から長年積み上げてきたものに執着して、そこから解き放たれず劣等感を背負って生きて行かなくちゃいけなくなる。ソースは私。それで、モノにして、輝いてる人はもちろん素晴らしいし羨ましい。「この道30年、これしかできないから」という謙遜と自信の入り混じった言葉は尊い。でも「やりたいからやってみました。生きてるうちにやってみましょと思って」という軟派な選択も同じぐらい尊重されていいはずだ。あるいは「人からの尊重」なんてどうでもいい。

誰も彼もが100点を目指さなくてもいい。死ぬ時に「故人は100点の人でした」と惜しまれて何になるというのだ。やりたいことをやる。

トロンボーン、いくらぐらいするのかなーとちょっと調べてみた。中くらいの案件一個やれば入門セット買えそうだな。家の近くに個人練1時間1000円以下のスタジオも見つけた。やらない理由がない。それはそれで困った笑 やるか。

誰か、中くらいの案件ください。